はじめまして!
こもあ です。
ブログをご覧いただきありがとうございます!
私は、貯金なし、老後ビンボーまっしぐら中の、アラフォー独身オンナです。
気づいたら、40代。気づいたら、お金なし。気づいたら、人生折り返し。
✅ 貯金なし、老後資金なんて考えたこともない。
✅ 人生の半分以上、ぼーっと生きてきた。
✅ 老後は、年金暮らしで近所の散歩が唯一の楽しみ!?
「あれ…このままいくと、詰む?」
そう気づいたのが、40歳を過ぎた頃。
ふと振り返ると、これといって大きな挑戦もせず、目標も持たず、流されるまま生きてきた。
せめて、残りの人生を謳歌したい!
目標は、65歳から、温泉ざんまい♨️
悠々自適な生活をするために資産をつくること。
目指すは、2年以内に在宅ワークで手取り30万円安定です!
でも、もう時間がない。
40歳を超えたら、体力も落ちるし、膝や腰は痛いし、風邪もひきやすくなりました。
もしかすると、30年後には、足腰が立たなくなっているかもしれません。
きっともう、理想を追うためにガムシャラになれるのは、ラストチャンスです。
本日は、『お金×時間』の自由がある生活を目指すきっかけとなった経緯について、自己紹介とともにお話しさせてください。
📌 基本情報
名前:こもあ
性別:オンナ(独身)※甥っ子姪っ子で満足
生年月日:1981年11月27日
出身:福岡
家族:母、妹2人(既婚)
癒し:温泉♨️、漫画、アニメ(ファンタジー、青春)
経歴:
・4年大卒
・テレビの制作会社就職
・フリーのディレクター
・在宅ワークで仕事を取るため健闘中
📌 計画性ゼロ!目の前の楽しさだけで生きてきた
子どもの頃は、イラストや手芸、お菓子作りに夢中。自分の世界に没頭するのが好きでした。
中学・高校では、生徒会選挙のチラシを作ったり、体育祭のハッピのデザインを担当したり…。
「縁の下の力持ち」的な役割がしっくりきて、黙々と作業するのが心地よかったのを覚えています。
一方で、進学に関しては計画性ゼロ。
「特に将来の夢もないし、とりあえず公立高校でいいか」と行ける高校を選び、
大学も「関西弁の地域に行ってみたい!」という単純な興味で、奈良へ。(ごみごみしてないしちょうどよかった)
そして、就職も同じ。
「テレビの裏側ってどうなってるの?本当にイスを並べて寝てるの?」という好奇心だけでテレビ番組の制作会社を受け、採用された東京の会社へ。
人生の選択基準は、「なんとなく楽しそうだから」。
将来のことなんて、考えたこともありませんでした。
📌「私、この仕事向いてないかも…」
「テレビ業界ってどんな世界なんだろう?」
そんな興味本位だけで上京。
職場は、マンションの一室。
狭い空間にスタッフが詰め込まれ、上司の目が光る息苦しい環境でした。
「ここで一生働くのか…?」と不安を感じていた矢先、テレビ局に出向することに。
担当番組は、50人以上が働くフロアにありました。天井が高くて、広々とした空間。
上司の視線も気にせず、自分のペースで仕事ができる。
「なんて居心地がいいんだ!」
そこから3年ほどAD(アシスタントディレクター)として、番組制作の流れを学ぶことに。
撮影準備やリサーチ、取材アポを取る日々。いつしか、イスを並べて寝るのが得意になっていました。(もはや寝床、イス並べて寝るのはホントだったw)
特に夢中になったのが、商品や料理撮影の演出。
「春の食材だから、ピンクを背景にしたら映えるかも?」 など、どうすれば魅力的に撮れるかばかり考えていました。
高級レストランの取材では、撮影後の試食が密かな楽しみ。(冷めてても最高にうまい!)
「テレビ番組を作るのって、面白い!」 そう思い始めていました。
でも、ディレクターになると、ある違和感が…
私は、何かを届けたい、表現したいという強い思いがあるわけじゃない。
「興味があったから」飛び込んだだけ。
だから、熱意を持って番組を作る同僚たちを見ていると、「私ってここにいていいの?」 という気持ちが湧いてきました。
しかも、もともと一人が好き。
積極的に人と関わるのも得意じゃない。
逆に、番組制作は「人と関わる」仕事。
企画を通すために会議でプレゼン、取材交渉、インタビュー…。
街頭インタビューは、ほぼナンパ「お姉さ〜ん、ちょっとお時間ありますか?」なんて声をかけては、無視され。吐きそうでした。
「あれ?この仕事、私向いてないんじゃない?」
仕事は覚えたし、こなせるようにはなった。
でも、「楽しい」よりも、違和感だけがどんどん大きくなっていきます。
そして、9年間続けた番組が終了し、違和感は決定的になりました。
「うん、一生やりたい仕事ではないかな…」
📌 トドメのパワハラ
「やっぱ、この仕事向いてないわ〜」
9年間続けた番組が終了し、改めてそう考えるようになりました。
でも、違和感はあっても、辞める決定打がない。
他にやりたい仕事もないし、ずるずる続けていました。
そんなとき、思いもよらない出来事が起こります。
ニュース番組に異動。
事件・事故や芸能ニュースの編集、イベント取材など、その日の出来事を映像にまとめるのが仕事です。
毎朝、「今日も1日、平和であれ」と願って仕事をしていました。
でも、そんな平和な日は続かなかった。
ある日、突如発生した殺人事件。「番組オリジナルの映像が欲しい!」と、運悪く、担当曜日だった私に白羽の矢が当たりました。「とりあえず行ってこい!」と言われた時は、準備しながら涙が出てきたのを覚えています。
「行きたくない…」
今まで、お店紹介やイベント取材、料理レシピコーナーなど、楽しく平和な企画ばかり作っていた私には、事件現場に行くのがつらすぎたのです。
でも、これも仕事。なんとか、取材を終え、スタッフルームに戻ると、上司がニヤリと笑って言いました。
「いいコメント撮れた?探偵みたいでワクワクするよね!」
――ゾッとしました。
どうしてこんなに悲しい出来事を、ワクワクなんて言えるのか?「この仕事、もう無理かもしれない…」
そんな私に、追い打ちをかける出来事が!
パワハラ上司の登場です。
・会議で女性を吊し上げる
・気に入った人だけひいき
・会社に相談しても「会社のためにがまんするのが当たり前」と一蹴
「いや、私の人生なんですけど!」
違和感の積み重ねに、最後の一押し。
もういい、辞めよう。
こうして、私は会社を辞めました。35歳でした。
📌 フリーランス転身「自由最高!」のはずが…
会社を辞め、福岡の実家で失業手当て暮らし。
「やりたいこともないし、とりあえずハローワークに行くか…」なんて、ぼんやり考えながら過ごしていたある日、一本の電話が。
「ゲームの特番を作るんですが、手伝ってくれませんか?」
元同僚からの連絡でした。
特に断る理由もないし、働かないと生活できない。
「ゲームか、なんか楽しそう」と、即答して東京へ逆戻り。
そこから、フリーのディレクターとしての生活が始まりました。
ありがたいことに、知り合い経由で仕事が途切れることはなく、
やりたい番組を選び、一緒に働きたい人を選び、時間も場所も自由。
「こんな自由な働き方、最高じゃん!」
さらに、大好きな温泉地でワーケーションも経験。
好きな場所で、好きな仕事をしながら生きるって、こんなに幸せなんだ。
でも、そんな平和な日々は、長くは続きませんでした。
自由にはリスクがつきもの
2023年、レギュラー番組2本が打ち切り。
収入は、一気に3分の1に激減。
「あれ…?このままフリーでやっていけるの?」
42歳にして、3ヶ月後の仕事がゼロ。
でも、今までなんとかなってきたから、そこまで焦りはなく、
「やばいな、春からどうしよっかな」くらいの感覚。
そんな軽い気持ちでいた私に、さらに人生を考え直させる出来事が起こります。
📌 いとこの死と人生
打ち合わせ先の道中にかかってきた、母からの電話。
「⚪︎⚪︎くんが、昨日亡くなったそうです。」
45歳のいとこが、がんで他界。
闘病のことは親族にも伏せられていたため、突然の報告。
最後に会いに行った彼の顔は、遺影の笑顔とは程遠く、頬がこけていました。
さらに、翌年、友人が乳がんに。
「いつかは…」なんて言ってるうちに、人生なんて終わるのかもしれない。
「このまま、目標もないままぼーっと生きていていいのだろうか?」
仕事がなくなり、近しい人の死を経験、初めて「この先どうするか考えなきゃ」と思い立ちました。
📌 悠々自適生活、いくら必要?計算してみた結果…
ひとまず、残りの人生を悔いのないように謳歌したい!
「温泉が好きだし、日本全国の温泉を巡りたいな。」
「65歳くらいから、仕事を控えめにして、温泉ざんまいできたら幸せじゃない?」
この先の人生、「理想の未来」について考えました。
でも、現実はどうだろう?
貯金はたったの300万円。
目先のことばかりで、無計画に生きてきた結果がコレ。
じゃあ、温泉ざんまいな老後を送るには、どれくらいお金が必要なの?
冷静になって計算してみました。
…………………………………………………
♨️ 1回の温泉旅行の費用
・宿泊費:15,000円 × 2泊 = 30,000円
・交通費:25,000円
・食費 :5,000円 × 3日 = 15,000円
→ 合計 70,000円
→ 年間6回だと 420,000円
♨️ 65歳から15年間だと
420,000円 × 15年 = 6,300,000円
もちろん、普通に生活費もかかる。
♨️ 生活費(1ヶ月あたり20万円として)
2,400,000円×15年 = 36,000,000円
…………………………………………………
♨️ 総額(温泉+生活費)
630万円(温泉) + 3,600万円(生活費) = 約4,200万円
「……マジ?」
43歳にしてやっと描いた理想の未来。
でも、そこに立ちはだかったのは「お金」という現実でした。
老後を謳歌するために、20年後に必要なお金は、最低でも4,200万円.
43歳にしてやっと将来の理想を描いてみたものの、
目の前には、「お金」という高い壁。
📌 『自由×お金』を手に入れて、理想の未来を叶える!
あと20年で、どうやって300万円の貯金を4,200万円にする?
手取り50万円を安定して稼げれば可能だけど…
「テレビの仕事を続ければ貯められる?」
いやいや、体力的にもう限界が近い。
徹夜続きの現場、長時間労働。この先も続けられるの?
50歳、60歳になっても?
無理だ。絶対に。
じゃあ、会社に入って安定を狙う?
今さら、会社に縛られたくないし、手取り50万円ももらえるスキルなんてない。詰んだ…
でも、理想を諦めるのもイヤだ!
「自由な働き方をしながら、安定してお金を増やす方法はないのか?」
なんて、考えながらネットサーフィンをしていたとき、あるオンラインスクールを発見。
そこには…
・旅をしながら働くライフスタイルを実現している人
・在宅ワークで月収3桁を達成している人
・“スキル0”でもWEB業界で活躍している人
理想を実現した、多くの女性たちの姿がありました。
「これだ!」と思いました。
WEB業界、ましてやビジネスとは、縁遠い世界にいましたが、理想を実現するために自己投資を決意。人生初の試みです。
さらに、好きなときに好きなことにお金を使っていた浪費グセをあらため、家計管理や積立NISAも学んで、少しでも早く「温泉ざんまいで悠々自適な暮らし」を実現したいと考えています。
これが、ラストチャンス。
失敗もするかもしれない。でも、やらなきゃ何も変わらない。
「43歳からの挑戦。やるか、やらないか。私は、やる。」
このブログでは、私が実践していくことをリアルに発信していきます。
その経験が、人生を謳歌したいと考えるみなさんの糧になればいいなと思っています。